シャワーを浴びていたらブログに書けそうなことを思いついたのだけれど、髪を乾かしている間に忘れてしまった。こんなことはたびたたびある。浴室にいる間だけはひときわ頭が冴えるからだろう。それに顔の調子も良い。人中が短く、肌は艶やかで、頬が平たい。叶うならばずっと浴室の中の自分でいたい。

思い出した。

鏡越しに自分の背中を見ていたのだった。肩を可能な限り前方に丸めながら見返るかたちで。

腕の付け根から肩にかけて隆起していて、肩甲骨が角ばっている、脂肪の少ない男性の体。ただ存在するだけで美しさは見出されない。

 

ふつう男性はそのような姿勢をとらない。そのような姿勢で写真に写らないと言うべきか。肩を小さく見せる仕草は男性的ではないから、芸術的/商業的に客体化されることがない。だから男性的か否かを差し置いて美的な観点での選別が発生してしまって、女性と比較して美しくないという感想が生まれたのかもしれない。

一方で女性が同じ姿勢をとると美しく見える。f:id:hayan915:20230802003030j:image

論理(@ikil_kiLLa_)

zombie popの手法を何かの機会に剽窃してみたいとずっと思っていたから、こうして写真を挿入できただけでも満足だ。ここで筆を拭ってもいい。

この文章は電子媒体で入力されているから筆など最初から持っていないのだが、筆記具がボールペンやシャープペンに乗り替わって久しいのに、それによって言い回しまで変容したわけではないので今に始まった話ではない。

 

論理ちゃんのずっと昔のツイートに、「お前らのためではなく、私がそのまんまの自分を好きになるためにヌードをやっている」という趣旨のものがあった。

彼女の背景は知らないので文意だけを援用して話を進める。

成長の過程で同年代の人間に容姿を貶される経験をする人は少なくないだろう。人間は他人の感情を直接感じ取ることはできない。成人に至るまでの過程ではメタ認知能力も低いから、容姿に関して無神経な指摘をしたり、嘲笑したりすることはたびたびある。「悪気があったわけじゃない」というのはそれを正当化する理由にはならない。罪の本質は本人に悪意があるか否かではなく、想像力を働かせて自分の行動を省みようとしていないことにあるからだ。交通事故は害意の有無に関わらず追及される。それも構造は同じで、不注意な運転を行うこと自体に暴力性があるからである。

書いてるうちに何を言おうとしてたのか忘れたのでそろそろ画面を閉じようと思う。今この文章を読んでるあなたは綺麗だよ。悩まなくてもいいよ。お幸せに。

最後にもう一枚

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追記 

悩みの本質はシンデレラになれないことにあるから実際に可愛いかどうかは重要じゃないのかも。

自分を嫌いになる理由よりも自分を愛せるようになる理由を掘り下げるべきだったのに近視眼的に書いちゃったな。

 

追記2

綺麗な言葉を並べていれば誰かの王子様になれると思っている節がある