俺が可愛いって言ったら謙遜するのはなぜなんだろう。ほんとに自信ないのかな。それとも、そうするのが得だと知ってるのだろうか。

そういうとき、俺は決まって「俺が可愛いって言ってるんだから可愛いんだよ」という趣旨のことを言って、そうして黙らせる。相手からしたらさぞ気持ちいいことだろうと思う。抗えないにせよ、あえて抗わないにせよ、自分の魅力が無理やりに肯定される。まさしく、流れに身を委ねるような感覚なのかも知れない。

そうした振る舞いは恋愛の渦中にある女性によく見られるように思う。抗えないことを選んでいるのか、本当に抗えないのか曖昧で、その曖昧さを生み出している相手そのものに魅力を感じるような。

言葉にすれば全てありきたり

日常の言葉というのはどれも多義的で、死別であろうと別離であろうと「お別れ」と言って表現してしまえる。生活から失われたという意味では、亡くなったのとさほど変わらないのだが。

うちの実家の犬も、祖父母も、そう遠くない未来になくなるのだろうと思うと何やら悲しくなる。ここ数年、悲しくて泣いたことなんてたった一度きり、彼女と別れた次の日だけだった。普段の生活の大半の景色は彼女がいないところで見てきたのだから、別れても生活は普段通りなのに、街を歩けばひとり自分が少ないような気がした。

私は以前、恋とは契約なのかもしれないと書いた。本当の右目を差し出す代わりに、恋人のことしか見えない右目を受け取るような、そんなものだと。

別れた翌日には悲嘆の中で泣いたけど、そうして泣くのがとても心地よかった。悲しみは深くても、その感覚は全く辛くなくて、ただ別れのプロセスをなぞっているだけ。時間が経てばなんてことなくなるとわかりきって、認知的には冷めていた。別れることにも随分と慣れてしまったようだった。注射を打たれるのが怖くなくなるみたいだ。

ふたりでシャワーを浴びる時間が好きだった。
艶やかな肌は水流をはじいて、滴は鈍く輝く。不意に触れ合う二の腕の冷たさと、水気を含んで背中に張り付く髪に非日常を見る。
女性は湾曲している尾骶骨がひとつ多いことを思い出す。ほんの数分前まではあれほど神聖に見えていた輪郭が、なんだか均整を欠いている。それは形態の機能ではなく、象徴にのみ宿る耽美なのだと悟る。

湯気が鏡を塗りつぶしていく。その白濁の向こうに、かろうじてふたつの輪郭だけが残る。現実には曲面として存在している境界が、二次元に映し出されて初めて絵画になる。

夏の盛り、午前七時の名古屋駅は茹る暑さをしていた。

彼女から送られた待ち合わせ場所の写真を見てもそれがどこなのか見当もつかず、電話をかけて居場所を尋ねる僕の声には些かの苛立ちが混じっていたように思う。

キャリーバッグに片手を添えて日陰に立つ彼女が視界に入った途端、緊迫感は霧散した。強く繋いだ手の熱さと、芯のある柔らかさだけが印象に残った。

僕のマンションに辿り着いて、部屋に入った途端に鍵を閉める。静かに、強く抱きしめてから、ドアに彼女の肩を押し付けて、永い接吻をした。ふたりとも寝不足で、自律神経が機能していないから体温は気温に呼応して高くなっている。彼女の肌の熱さ、生命の匂い、冷房のかかっていない部屋の湿った空気が肌にこもって、風邪をひいたような気怠さ。普段であれば心地よく思わないそれらすべてが陶酔を後押しした。唇を離すと彼女の頬は赤みを帯びて、それがやけに扇情的に見えた。

 

37.2。昼寝から寝覚めたあとの体温計にはそう表示されていた。きっと君と接吻をしたからだと思った。その非日常が愛しかった。