野菜が健康にいい理由についての仮説

動物の群れにおいて長寿は必ずしも利益をもたらすわけではなく、生殖に関わらない個体が群れに存在することは、食糧等の資源の不足を招くので適応的ではない。

人間を長寿化させる因子になる食材のほとんどは野菜であり、それらは低カロリーなので採集の優先順位が低い。したがって、野菜を摂取することは主要なカロリー源である脂質(ナッツ)と糖質(果物)の採集が飽和していることを体に伝えるシグナルになる。

すなわち、人体が長生きするために菜食が必要なのは、環境によって寿命を変動させるためなのではないか?

 

反証

・高齢化しても採集能力の衰えは緩やかなので、資源の不足が発生するのは過酷な環境に限るのではないか?

・農耕社会においても長寿の遺伝子が残り続けた要因は?

・むしろ動物の肉に含まれる飽和脂肪酸が短命の主要因であって、生来人類は長寿なのではないか?

・他の動物において、食生活が寿命に及ぼす影響について精査する必要がある

 

10/27 追記

むしろ主食の供給が不足している時の代替食品として摂取されていたという可能性もある。

眼窩を抉るような痛みが続いている。時刻は17時だから日が沈むまであと2時間ほどこの苦痛は止まらないのだろう。

この先自分がどれだけ経済的に豊かになろうと、社会的に成功しようと、交友関係に恵まれようと、この苦痛からは逃れられない。

その事実が精神に重くのしかかった。

人を褒めてる時間が一番幸せな気がする。頭に浮かぶ褒め言葉を口から発するだけで相手は幸せになるし、それに共鳴した俺も幸せ。

女性の方が簡単だから好き。可愛いとか言っといたらだいたいなんとかなるから。実際みんな可愛いから嘘じゃないし。

俺は人間関係に関して浅薄な人間だから、とりあえず褒めといたらいいやろ〜という姿勢で人と話している。でもみんなうっすら思ってるけどわざわざ言わないような褒め言葉ってあるし、対等に褒めるのも悪いことじゃないと思う。俺は積極的に世間の褒め言葉の総量を増やしていきたい。

人間って生まれつきその気になればいくらでも関係の衝突を生み出せるようにできてるんだけど、あらゆる時間の使い道の中でそれが一番無駄だからそういうコストを最小限にして楽しいことに回したい。

 

なんか女のことは「女性」とか「女の子」って呼ぶのに男はそのまんま「男」って呼ぶ人ってあからさますぎて気持ち悪いなーと思ってしまう。

そういう言葉選びから思想を読み取ってしまうことがよくあるんだけど、言ってる側はそこまで意識してなかったりするんだろうな。俺も英語で話してって言われたら性差別主義者になるかもしれないし。

 

パパ活って呼称はなんなんだろう。そもそも売春の時点で淫売の婉曲的な表現なのに援助交際っていう隠語を作って、それが浸透したからまた新しい名前に言い換えてる。時代と共に新しい呼び方が生まれ続ける概念って他にもあるのかな。

シャワーを浴びていたらブログに書けそうなことを思いついたのだけれど、髪を乾かしている間に忘れてしまった。こんなことはたびたたびある。浴室にいる間だけはひときわ頭が冴えるからだろう。それに顔の調子も良い。人中が短く、肌は艶やかで、頬が平たい。叶うならばずっと浴室の中の自分でいたい。

思い出した。

鏡越しに自分の背中を見ていたのだった。肩を可能な限り前方に丸めながら見返るかたちで。

腕の付け根から肩にかけて隆起していて、肩甲骨が角ばっている、脂肪の少ない男性の体。ただ存在するだけで美しさは見出されない。

 

ふつう男性はそのような姿勢をとらない。そのような姿勢で写真に写らないと言うべきか。肩を小さく見せる仕草は男性的ではないから、芸術的/商業的に客体化されることがない。だから男性的か否かを差し置いて美的な観点での選別が発生してしまって、女性と比較して美しくないという感想が生まれたのかもしれない。

一方で女性が同じ姿勢をとると美しく見える。f:id:hayan915:20230802003030j:image

論理(@ikil_kiLLa_)

zombie popの手法を何かの機会に剽窃してみたいとずっと思っていたから、こうして写真を挿入できただけでも満足だ。ここで筆を拭ってもいい。

この文章は電子媒体で入力されているから筆など最初から持っていないのだが、筆記具がボールペンやシャープペンに乗り替わって久しいのに、それによって言い回しまで変容したわけではないので今に始まった話ではない。

 

論理ちゃんのずっと昔のツイートに、「お前らのためではなく、私がそのまんまの自分を好きになるためにヌードをやっている」という趣旨のものがあった。

彼女の背景は知らないので文意だけを援用して話を進める。

成長の過程で同年代の人間に容姿を貶される経験をする人は少なくないだろう。人間は他人の感情を直接感じ取ることはできない。成人に至るまでの過程ではメタ認知能力も低いから、容姿に関して無神経な指摘をしたり、嘲笑したりすることはたびたびある。「悪気があったわけじゃない」というのはそれを正当化する理由にはならない。罪の本質は本人に悪意があるか否かではなく、想像力を働かせて自分の行動を省みようとしていないことにあるからだ。交通事故は害意の有無に関わらず追及される。それも構造は同じで、不注意な運転を行うこと自体に暴力性があるからである。

書いてるうちに何を言おうとしてたのか忘れたのでそろそろ画面を閉じようと思う。今この文章を読んでるあなたは綺麗だよ。悩まなくてもいいよ。お幸せに。

最後にもう一枚

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追記 

悩みの本質はシンデレラになれないことにあるから実際に可愛いかどうかは重要じゃないのかも。

自分を嫌いになる理由よりも自分を愛せるようになる理由を掘り下げるべきだったのに近視眼的に書いちゃったな。

 

追記2

綺麗な言葉を並べていれば誰かの王子様になれると思っている節がある

 

サビを迎えた途端に音楽を止めたくなる

暑さで諸々の努力に身が入らない。けれども何かに熱中していたいという精神的な希求は変わらずに在るから、生活を不本意に空費して疲労だけが溜まる。だから文章を書いて時間をつぶすという発想に至った次第である。

このブログに読者がいるのかは定かではない。いるとすれば終着の見えない三流恋愛小説みたいな文章に辟易しているだろうから、今日は私の身の上を語ろうと思う。他人の自分語りほどつまらないものはないだろうが、話者当人がそれを面白いと思い込むことは話を面白くするために必要な要素たりえるから、今回はその思い込みに浸らせていただきたい。前置きが長くなると私の方が先に文章を書くことに飽きてしまうので、そろそろ本題に移る。