cute aggression

彼女の喉から漏れる矯声が悲鳴みたいに聞こえて、劣情を喚起させた。右の掌を華奢な首に押し当てると声が一層高くなって、表情は恍惚と苦悶が衝突するように歪んだ。金属が軋むような音が断続的に響く。

彼女は僕の眼差しから愛情を読み取っている。それに共鳴した中枢神経はオキシトシンとエンドルフィンに満たされているのだろう。けれども僕の心の中では苛虐に伴う悦楽と罪悪感が相剋していて、安寧からは程遠かった。抑圧されていた暴力性と猟奇性が彼女によって詳らかにされているようだった。動悸をかき消すように腕にこもる力が強くなって、それから彼女の唇を塞いだ。

生得的に潜んでいた感情が承認されるのはきっと喜ばしいことなのに、屈折した愛情関係に加担していることが後ろめたい。

「可愛すぎておかしなりそう。ごめんな。優しくできやんかもしれん。」台本を読み上げるみたいに呟く。どこかで聞いたような台詞だと思った。そうして僕の口は道具になっていく。欲情を煽るための機械のような。

男性の独白体は苦しみを吐露するようにはできていない。だから言葉にする術のない鬱屈だけが蓄積されていく。それを女性主人公に仮託することによって太宰治の『女生徒』に収録されてるような物語が形成されるのかもしれない。

 

私のことが好きな人のおどおどした優しさよりも、振り向いてくれない人の些細な言葉に心が揺れる自分が嫌だ。とか、一人称だけすげ替えた文章を作ってる

 

俗な言い方をすると、書き手当人からはウジウジしたことを言えるような精神の脆弱性が失われているのに、そういう文章の方がウケが良いから架空の人格を創造しているという解釈もできる

mol-74のエイプリルを聴いている。

4月なんてとうに過ぎ去ったから記憶も薄れて、思い出が美しく加工されていくようになった。

映画を綺麗だとか思えるほど僕の心は綺麗じゃない。たぶん君と見たから綺麗だったんだろうな。とか言って、加工された思い出に浸るのは愚かな人がやることだけれど、愚かでいる方が幸せな場合もあると思う。

ずっと前から、いつか誰かのことをこんなふうに写したいって思っていたのに、4月に撮ったどの写真もあのMVみたいに美しく見えない。

それでも写真に残る思い出はいつだって綺麗だ。幸せは人の目に映る暇もなく過ぎ去るから静止画にしないと見えない。

花火のようだとも思う。咲いたそばから散って、初めてそれが花であったことを知らせる。

 

 

進行形で干渉できなくなって初めて物語になる

彼女の家から僕の下宿までの道のりは長い。バスと電車を乗り継ぎ、その後またバスに乗らねばならない。彼女は僕の最寄り駅で降りた経験が無いと言うから、初めて会う日は駅まで迎えに行く運びになった。

バスを降りて駅に向かうと、改札を出たところで彼女は待っていた。写真で見るよりもずっと輝いて見えた。初春の日差しが彼女の髪を照らして、それは亜麻色に揺れた。緩やかに内側に流れる毛先に、前日の電話の内容を思い出した。誰かから「明日の髪型何がいい?」と聞かれるたびに愛おしく思ってしまう。僕のためだけに可愛くなろうとしてくれているのだから。

バス停にふたりで並んだ。「あそこのお好み焼き屋さ、行ったことないんよな。」みたいにたわいもないことを話しかけたけれど、電話をした時の爛漫な話振りとは裏腹に、彼女はやけに無口で、あまり目を合わせようとはしなかった。

到着したバスに乗り込んで、横並びになって吊り革を掴んだ。並木に紛れて、開きつつある蕾が僅かに見えた。

「見て。桜。」と言うと、彼女はひとことだけ、「きれい」と呟いた。

バスを降りて、下宿までの坂道を登った。玄関をくぐるに至るまでにはそれほど時を要さなかった。

 

「彼氏できるんかなあ」と呟く彼女に、軽率に「俺やったらあかんの」みたいなことを言えるほど彼女のことは好きではなかったし、無責任にもなれなかった。

 

 

位置情報共有アプリで姉と繋がっているから詮索されたら面倒だなあという話をしていたときに、彼女のスマホを見せられた。

「家知られたら関係切れた時に押しかけてきそう」

「それはないやろ。俺、自分に興味ない人に興味ないから」

「そんな感じするわ」

 

 

手が届かなくなったから、言葉を介して触れ直そうとしているのかもしれない

 

7/19 追記

いずれ関係が終わることを当然のように捉えてそれが悲しくもないようなそぶりでいたのに、次第に彼女の心に醸成される愛の終わりを、互いに見ないふりをしていた。

ありきたりな自然消滅で終わってしまいそう。あれほど頻繁に会っていたのに呆気ないな。

互いに抱いていた感情に恋愛感情が含まれていたのかを明らかにすることも、もう叶わなくなってしまった。好きと言い合ったこともあるけれどそれが本心なのか、過剰に分泌されるオキシトシンとエンドルフィンに呼応して漏れる台詞なのかはずっと曖昧なままにしていたから。

仮にあの時俺が「付き合おう」とか言っていても相手の人生に責任を取れるわけでもないし、結婚したいだなんて微塵も思わなかったからそれで良かったんだろうけど。

俺は現状に些かの寂しさを感じているけれど、彼女は多分それほどでもないと思う。そこに男女の非対称性があるのではないか。彼女の俺に対する愛着が希薄になっても俺は彼女のことを嫌いにはならないし、幸せでいてほしいという気持ちも消えないけれど、彼女の愛はいずれ完全に風化して景色に溶ける。「女の恋愛は上書き保存」とかいう言い回しがあるけれど、女の恋愛感情だけが特異なんだと思う。ふつう人間に対する愛着の程度は関係それぞれに独立しているものだから。

対等な関係に於いて構築された親愛と、性的な関係による妄執が入り混じったアンバランスな感情を受け入れられるほど器用じゃないから、重要なことを曖昧なままにしていたんだと思う。彼女もきっと同じなんだろうな。「これ言ったら驚くかもしれやんけど彼氏いたことないんよな」とか言いながら処女じゃなかったし。一緒に見たルナルナの画面が本当なのだとしたら、少なくとも1年は他の誰ともしていないみたいなのだけれど。

恋愛感情は架空の信念なのかもしれない。「それとも乳化みたいなものなのかな。熱が冷めたら分離するし」とか言ってみれば修辞としては面白いのだけれど、全ての事象が面白くできているとは限らない。

 

好きだと思えている間にまっすぐ見つめて、彼女ことをいっぱい知ろうとすれば良かったな。

性愛に拠る興味から成る関係は対等ではない。ひとたび恋愛対象として見られてその認知が固定されてしまったら、関係の行きつく先は付き合うか別れるかの二者択一で、俺が能動的に関係を切ろうとしない限りその選択権は相手にあり続ける。その事実を意識すると、首筋を刃物の背でなぞられるような冷たい緊張感を覚える。

恋愛関係においてどれだけ自分が誠実であっても、女性は恋愛感情が冷めたら途端に誠実でいられなくなるものだから下らないと思ってしまう。「ごめんね。もう好きじゃなくなっちゃった」という台詞に返す言葉なんてひとつも存在しない。別れの言葉もなく消えてしまうことだってあるし。

俺が他の誰かから寄せられる好意だって、いつでも関係を切ることができるからこそ発生する恋愛ごっこに過ぎないんだろう。