男性の独白体は苦しみを吐露するようにはできていない。だから言葉にする術のない鬱屈だけが蓄積されていく。それを女性主人公に仮託することによって太宰治の『女生徒』に収録されてるような物語が形成されるのかもしれない。

 

私のことが好きな人のおどおどした優しさよりも、振り向いてくれない人の些細な言葉に心が揺れる自分が嫌だ。とか、一人称だけすげ替えた文章を作ってる

 

俗な言い方をすると、書き手当人からはウジウジしたことを言えるような精神の脆弱性が失われているのに、そういう文章の方がウケが良いから架空の人格を創造しているという解釈もできる