満開の桜並木を見ると思い出す人がいる。

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そんな陳腐な書き出しには辟易している。記憶を操作して感傷に浸ったり、頭に浮かんだ言葉に無理やり感情を結びつけようとするのは愚かなことだ。何よりこれを書いている今は桜なんてとうに散っている。だから当然、これから綴る物語は全て虚構だと思ってもらっても差し支えない。

けれども、それは確かに桜の咲き始める季節のことだった。

その頃、彼女は週に3回ほど僕の下宿に遊びに来ていた。その日も、二人で料理をしたり、同衾したりして過ごして、日が暮れる頃に玄関を出た。彼女の亜麻色の髪が黄昏時に輝いていた。

バスに乗る彼女を見送った帰りに、携帯を確認した。〈今日もありがとう〉〈ちゃんと温まってね〉とDMが来ていて、彼女の純朴な優しさが愛おしくなった。〈こちらこそありがとう〉〈気をつけて帰って!〉〈こけないようにね〉とだけ返信して、まっすぐ家に帰った。家に着いてからもしばらくやりとりをした。

〈お花見行きたい〉というDMが届いたのは、その日の夜だった。

彼女はよく独特な言葉遊びをする。桜が散ることを「桜散るする」と表現するのもそのひとつで、それは僕たちが好きなロックバンドの歌詞からの引用だ。

彼女が「早くしないと桜散るしちゃうよ」と言うから、日取りは3日後の満開の日に決まった。「早く会いたい」と敢えて言葉にしないための建前に桜を使うのが美しいと思った。

当日は昼過ぎに僕の下宿に集合した。彼女がいつも飲んでいるフルーツティーを冷蔵庫に用意していたので手渡したら、彼女はすごく怪訝な顔をした。僕がそんな気遣いをするのが信じられないようだった。その日も彼女は同じものを持ってきていて、それがなんだか滑稽だった。それから二人でバゲットサンドを作って出発した。

滅多に使わない停留所までの道のりは少し遠回りになってしまった。道中の桜並木があまりに美しかったから、川沿いの桜を背景に一枚、彼女の写真を撮った。

その日は桜の季節にしては陽射しが強く、バスを待つ時間が些か長く感じられた。隣に立つ彼女を見た。

「前髪切ったよな?」

「うん。絶対気づかんと思ってた」

「ちゃんと見てるよ」

「かわいい?」

「当たり前」と言って前髪を撫でようとしたら、「外ではだめ」と避けられた。周りには誰もいないのに、何がいけないのか僕には理解できなかった。

到着したバスに乗る。最奥から2番目の左側の席が僕たちの定位置で、窓側に座るのはいつも彼女だった。次の停留所で女の子が乗ってくると、彼女は「あの子、私とカバン一緒や」と言った。

山道を揺られていると、すぐに苦楽園口東停留所に到着した。夙川河川敷緑地の最寄りである。

 

 

中略

 

 

「トマト抜きのお客様」とよそ行きの声色で呼びかけると、彼女は右手を小さく上げて「はあい」という間延びした返事をした。